ことば

私達は茶道の真の相(すがた)を学び、それを実践にうつして、たえず己れの心をかえりみて、一盌を手にしては多くの恩愛に感謝をささげ、

お互いに人々によって生かされていることを知る茶道のよさをみんなに伝えるよう努力しましょう。

一、他人をあなどることなく、いつも思いやりが先にたつように

一、家元は親、同門は兄弟で、共に一体であるから、誰にあっても合掌する心を忘れぬように

一、道を修めなお励みつつも、初心を忘れぬように

一、豊かな心で人々に交わり、世の中が明るく暮らせるように

四規

和敬清寂(わけいせいじゃく)

この4つの文字の中には、すべてのお茶の心がこめられているといわれています。

「和(わ)」とは、お互いに心を開いて仲良くするということです。

「敬(けい)」とは、尊敬(そんけい)の敬で、お互いに敬(うやま)い合うという意味です。

「清(せい)」とは、清(きよ)らかという意味ですが、目に見えるだけの清らかさではなく、心の中も清らかであるということです。

「寂(じゃく)」とは、どんなときにも動じない心です。

お茶を飲むとき、お点前(てまえ)をするとき、また、お客様になったとき、お招(まね)きしたときなどに、この「和敬清寂(わけいせいじゃく)」ということばを思い出し、お稽古に励(はげ)みましょう。

利休七則(りきゅうしちそく)

茶は服(ふく)のよきように、炭(すみ)は湯の沸(わ)くように、夏は涼(すず)しく冬は暖(あたた)かに、花は野にあるように、刻限は早めに、降(ふ)らずとも雨の用意、相客(あいきゃく)に心せよ。

このことばは、千利休(せんのりきゅう)がある弟子(でし)から「茶の湯とはどのようなものですか」とたずねられたときの答えでした。そのとき弟子(でし)は「それくらいのことなら私もよく知っています」といいますと、利休(りきゅう)は「もしこれができたら、私はあなたの弟子(でし)になりましょう」といったそうです。

茶は服(ふく)のよきように  ―心をこめる―

「お茶は心をこめて、おいしく点てましょう」という意味です。「服(ふく)のよきように」というのは、舌(した)の先でおいしいと感じることだけでなく、一生懸命(けんめい)に点てたお茶を客がその気持ちも味わっていただくという、主と客との心の一体感を意味しています。


炭(すみ)は湯の沸(わ)くように  ―本質を見極(みきわ)める

炭(すみ)に火をつけさえすれば必ずお湯がわくとは限りません。湯がよくわくように火をおこすには、上手(じょうず)な炭(すみ)のつぎ方があります。しかし、そのつぎ方を形式だけでのみこんだのでは火はつきません。本質をよく見極(みきわ)めることが大切です。


夏は涼(すず)しく、冬は暖(あたた)かに  ―季節感(きせつかん)をもつ―

茶道では季節感(きせつかん)を大事にし、表現します。夏ならば床に「涼一味」などのことばをかけたり、冬ならば蒸したての温かいお菓子を出すなど、自然の中に自分をとけこませるような工夫をします。


花は野にあるように  ―いのちを尊(とうと)ぶ

「花は自然に入れなさい」ということですが、「自然そのままに」再現するというのではなく、一輪(りん)の花に、野に咲く花の美しさと自然から与えられたいのちの尊さを盛りこもうとすることに真の意味があります。


刻限(こくげん)は早めに  ―心にゆとりを持つ―

「時間はゆとりを持って早めに」ということですが、ゆとりとは時間を尊重(そんちょう)することです。自分がゆったりした気持ちになるだけでなく、相手の時間を大切にすることにもなります。そのときはじめて、主と客が心を開(ひら)いて向かいあうことができます。


降(ふ)らずとも雨の用意  ―やわらかい心を持つ―

「どんなときにも落ちついて行動できる心の準備と実際の用意をいつもすること」が茶道をする人の心がけであることをいおうとしています。どんなときにも「適切(てきせつ)に場に応じられる」自由で素直(すなお)な心を持つことが大切です。


相客(あいきゃく)に心せよ  ―たがいに尊重(そんちょう)しあう―


「相客」というのは、いっしょに客になった人たちのことです。正客(しょうきゃく)の座にすわっている人も末客(まっきゃく)の席にいる人も、おたがいを尊重(そんちょう)しあい、楽しいひとときを過ごすようにしなさいと利休(りきゅう)は説(と)いています。

利休居士道歌

茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて

のむばかりなる事と知るべし

「茶道とは、ただ湯を沸かして茶を点てて飲むだけ 」

そう思われる方もおられるかもしれません。

しかしこの歌の「ただ」には、非常に深い精神が宿っています。

何となく気軽に美味しいお茶を飲むだけであれば茶道が400年以上に渡り文化として根付くことは無かったのかもしれません。

タイミングよくお湯をわかし、心を込めてお茶を点てる。

その「当たり前」と思われることは決して簡単でない。ということがこの言葉には含まれています。

同じお抹茶を使ったとしてもお茶の量、気温、お湯の量と温度・点て方で当然に茶の味わいは違ってきます。

もちろん同じ人でもその時の状況でお茶の点て具合が変わることもあるでしょう。

皆さんは、どれくらい心を込めてお抹茶を点てているでしょうか。

全てのお点前には意味があり茶道の精神を通じて気持ちを伝え、ツールとしてのお道具で客人をもてなします。

無駄のない動きが自分自身の心と相手の心も落ち着かせます。

それは空間にも清らかさを生じさせます。

単なるお点前の手順や形式のみでなく精神的な心の在り方が大切なのです。

また、茶道具や茶花などの取合せは季節を大切にし、いらしたお客様のために心を込めて考え、客はその思い入れや趣向を感じ受けとめ、感謝し、ともに茶を楽しみます。(一座建立)

共通の認識を持って一碗のお茶を楽しむことから一体感を感じることができるのです。

のどを潤すためのお茶であるようでそれだけではない。

精神の修養をして、一碗の茶をいただく迄の過程を楽しむという先人たちの智恵が盛り込まれ洗練されてきたものが茶道なのです。

一方で茶道は特別なものではなく、衣食住の普段の生活の延長線にあるものです。

季節を感じる気持ちの感受性を高め、生活に取り入れ、そして相手を想い自分の心にも目を向けながら毎日を大事に生きることで、茶道が非日常でありながら、日常に大きな良い影響をも及ぼします。

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